征夷中止の上奏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 22:19 UTC 版)
桓武天皇が発した延暦8年6月3日(789年6月30日)付の勅が征東大使・紀古佐美の許に届いたのは、延暦8年6月10日(789年7月7日)頃と見られる。 古佐美はそれより前に征夷の中止を決意して、軍を解散し、都へ帰還したい旨を申請する奏状を調停に送っていた。『続日本紀』延暦8年6月9日(789年7月6日)条に記事があることから、古佐美の奏状は延暦8年6月2日(789年6月29日)頃に書かれたと推測される。 古佐美から届けられた奏状に桓武天皇は激怒し、直ちに勅を下して大使古佐美以下征夷軍指揮官たちの無能を厳しく叱責した。
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