当時の外国人法制顧問の意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 22:54 UTC 版)
「再閲民法草案」の記事における「当時の外国人法制顧問の意見」の解説
1884年には『華族令』(明治17年宮内省達)が、1886年には『華族世襲財産法』(明治19年勅令第34号)が施行されていたが、大日本帝国憲法が設置された前後の民法典論争の時期には、普通の家庭の家督(戸主)を規定した戸籍法(1898年)や、家督への税優遇を認めた相続税法(1905年)はまだ存在しなかった。 ボアソナード自身やカークウッド、ルードルフのほか、ドイツ法学家のヘルマン・ロエスレル、イタリア法学家のアレッサンドロ・パテルノストロらが、民法草案について意見書を提出したが、反対意見の多くはそうした財産規定に関するものである。 例えばロエスレルの反対意見は、フランス民法は純然たる民主主義に基づき家督の制限や遺言を残す権利を禁じるなどして財産権の自由を認めているが、そのために革命に至ったということを強調し、ドイツ民法は全く逆であるから君主制・貴族制の日本に適しているとして相続権の制限を求めている。 パテルノストロの反対意見もまた、「社会において最も着目すべきものは相続法である」と前置きしたうえ、遺産の全相続を人に認めることは大日本帝国憲法の原則とは異なるであるとか、国家経済を損なう恐れや族長の権利を削ぐ恐れがあることなどを強調し、むしろ相続税課税を促す意見を提出している。
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