建設の遅れと反対運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:20 UTC 版)
川辺川ダムは当初1976年(昭和51年)の完成を目標としていたが、その後の事業変更で1981年(昭和56年)、1993年(平成5年)、2000年(平成12年)そして2008年(平成20年)の完成目標へと四度も完成予定を延期させていった。 用地取得・家屋移転・代替地造成は2013年時点で98パーセント以上が完了し、付替道路については90パーセントが完了しているが、関連工事として仮排水トンネルが1999年に完成しているとはいえ、ダム本体工事には着手できていない。その原因は強固な反対運動が長年続いているためである。九州地方におけるダム反対運動としては1958年から13年にわたって続いた大分県・熊本県の松原ダム(筑後川)と下筌ダム(津江川)反対運動である「蜂の巣城紛争」が有名であるが、川辺川ダムのそれは蜂の巣城運動を遥かに超える40年近くもの反対運動が続いている。このため一向に本体工事に着手できないダム事業の代名詞として「東の八ッ場、西の川辺川」と関係者の間では囁かれている。 川辺川ダム建設計画がここまで膠着した状況に陥っている要因として、一つは「ダム事業により生じる補償案への賛否」、二つ目には「ダム事業そのものに対する賛否」、そして「ダム建設に基づく利水計画への賛否」が複雑に絡み合っていることが挙げられる。以下はこれらについて詳述する。
※この「建設の遅れと反対運動」の解説は、「川辺川ダム」の解説の一部です。
「建設の遅れと反対運動」を含む「川辺川ダム」の記事については、「川辺川ダム」の概要を参照ください。
- 建設の遅れと反対運動のページへのリンク