建設の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 04:59 UTC 版)
1938年12月5日、全ルートを東西2部・15工区(45小工区)に分けて建設が開始された。建設には30万人以上が動員され、亜熱帯で不衛生な環境、マラリヤ等の伝染病や食糧不足、過酷な労働のため多数の死者がでた。ルートは中国側から昆明より西に向かって安寧、禄豊、広通、楚雄、鎮南(南華)に至り、そこから一旦北上して姚安、再度西に進んで清華洞を経由し、祥雲の南側で南化して弥渡、南洞、公郎、雲県、孟定、そして国境の蘇達に至り、国境を越えてビルマのシャン州クンロンを経由し、ラーショーにてビルマ鉄道に接続する。 全線で1,000kmを越え、そのうち866kmは中国国内を走る(東部:昆明 - 清華洞間410km、西部:清華洞 - 蘇達間460km)。鉄道規格は滇越線に準じることとし、ゲージ幅もビルマ側の鉄道とあわせて1,000mmのメーターゲージとなった。 1940年、日本の仏印進駐に伴う滇越線の遮断などにより工事は一時遅滞したが、1941年にはビルマ・ロード経由で資材が運搬され建設が再開、以降急速に建設が進む。 1941年2月には昆明から石咀まで開通、10月には安寧までの35.2kmが開通した。石咀 - 安寧間には急勾配があるため、ループトンネルをひとつ設置して、高度を稼いでいる。同年にはアメリカン・ロコモティブ社へ25台のマレー式機関車(2-8-8-2式)の発注も行われた。
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