延宝5年仙台藩伊達家家臣窪田権九郎所々廻見覚書の検証
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「中村氏 (下野国)」の記事における「延宝5年仙台藩伊達家家臣窪田権九郎所々廻見覚書の検証」の解説
延宝5年に行われた陸奥仙台藩による伊達氏旧跡調査に接した窪田権九郎所々廻見覚書によるところの伊達氏源流の伝承については中村地域の主体的な行動により形成されたものであろうとし『真岡市史』などのはこの書を元に、中村氏の伊佐郡移住説について中村氏の存在そのものや伊達氏発祥地伝承自体についても討すべき余地が多いとしていたが、近年の研究ではこの仙台藩による伊達氏旧跡調査のさいに伊達宗村が中村八幡宮に奉納した遺品が下野の中村で見つかり、朝宗を伊達家始祖とする伊達家としては尊卑分脈にない伊達宗村が始祖となるようなことのないよう所々廻見覚書に記したとされる。なおこの伊達宗村遺品の軍配団扇は現在仙台市博物館の所蔵とされている。またこの伊達氏旧跡調査が行われ発見された伊達宗村遺品を回収すべく延宝6年、伊達綱村が伊達家の宝刀備前義光(栃木県文化財指定)を中村八幡宮に奉納し交渉の末、伊達宗村遺品奥州凱旋後軍配団扇(仙台博物館所蔵)を仙台藩の元に回収したとされる。この綱村が奉納した宝刀の箱書きには「大織冠十八代之苗裔我が伊達家氏之始祖常陸介宗村會て指揮団扇一握を当宮に奉納す」と記載されておりこの地を発祥の地とし宗村を始祖と当時の藩主・綱村が認めていたとされている。
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