延安の朝鮮人革命家たち
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1936年、長征のすえに中国共産党が延安に本拠地を移す。1930年代後半から40年代にかけて、延安には多くの朝鮮人社会主義者が集まり、左派抗日民族運動の拠点となった。 延安に入ったニム・ウェールズは、「キム・サン」こと張志楽の半生と人柄を『アリランの歌』に描き、欧米圏に朝鮮人の革命運動を紹介した。ただし、張志楽本人はその後康生による粛清に巻き込まれ、1938年に日本のスパイの嫌疑をかけられて処刑されている。 1940年代に入ると、中国において独自に社会主義系の活動を行っていた金枓奉・崔昌益らが延安に入り、中国共産党の勢力に合流。1942年7月、延安において朝鮮独立同盟(朝鮮語版)(委員長:金枓奉)が結成され、朝鮮人活動家たちが組織された。太行山根拠地では崔昌益が率いてきた朝鮮義勇隊(もともとは中国国民党が支援する左派系軍事組織)を基盤に朝鮮独立同盟の軍事組織として朝鮮義勇軍(司令官:武亭)が結成され、中国共産党と八路軍の支援を受けて日本軍に対する宣伝活動などに従事した。また、延安に朝鮮革命軍政学校を設立し、幹部の養成にあたっている。 中国戦線に動員された日本軍の朝鮮人兵士の中には、脱走して朝鮮義勇軍に加わる者もあった。1945年には作家金史良が中国共産党支配地域に脱出している。
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