延宝検地のころとは? わかりやすく解説

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延宝検地のころ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:52 UTC 版)

馬場大門のケヤキ並木」の記事における「延宝検地のころ」の解説

1678年延宝6年)、府中周辺大々的検地が行われた。この検地延宝検地呼び六所宮社領検地した記録が『六所大明神領御検地水帳』として残されている。馬場大門はこの水帳の5冊目の「高外(石高に含まない土地)」の項目に記載されている。記載参考文献より引用する。この検地寛文造営から7年後行われたため、寛文造営完成後の姿を記録していると考えられる馬場中道三百四拾五間 南町なみより北一鳥居迄横 南町間ニ而四間弐尺 中北共ニ五間壱尺ツゝ西馬場長 弐百六拾八間 南馬留土手より北土手迄横 南中共ニ四間五尺ツゝ 北四間 土手高平三尺五寸東馬場長 弐百八拾間 南馬留土手より北土手迄横 南中北共ニ六間ツゝ 土手高平五尺 馬場中道大門)、西馬場東馬場長さそれぞれ 345間 = 621 m, 268間 = 482.4 m, 280間 = 504 m と一定ではなく、幅もそれぞれの筋で南側中側北側で差がある。また、西馬場東馬場には南北土手が、さらに南端には馬留土手存在する土手の高さは西馬場 3尺5寸 = 1.06 m に対し東馬場 5尺 = 1.52 m で東馬場のほうが高い土手を持つ。土手馬場の柵の代わり務めていたと考えられており、実際土手には埒(柵)がなかったと村尾正靖が『嘉陵紀行』で記録している。西馬場の方が短いのは1744年まで西馬場南端善明寺立地していたためと考えられている。

※この「延宝検地のころ」の解説は、「馬場大門のケヤキ並木」の解説の一部です。
「延宝検地のころ」を含む「馬場大門のケヤキ並木」の記事については、「馬場大門のケヤキ並木」の概要を参照ください。

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