幹線の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 19:06 UTC 版)
「王立ヴュルテンベルク邦有鉄道」の記事における「幹線の拡大」の解説
数年間の建設休止後、オーバー・ネッカー線がプロヒンゲンから建設開始され、1859年にロイトリンゲン、1861年にはテュービンゲンを経由して司教都市ローテンブルク・アム・ネッカー(ドイツ語版)へ、そして1864年から1866年にかけてまずエーヤハ (Eyach) へ、そして続いてホルプ・アム・ネッカー(ドイツ語版)へと到達した。 東部ヴュルテンベルクへはカンシュタットからのラムス線が1861年にショルンドルフ-アーレンを経てヴァッサーアルフィンゲン(ドイツ語版)まで建設され、1863年にはネルトリンゲンへ伸びてバイエルンの鉄道網に接続された。 コッヒャー線(ドイツ語版)は1862年にハイルブロンからホーエンローアー・エーベネ(ドイツ語版)を経由してシュヴェービッシュ・ハルまで開通した。1866年にアーレンからのオーバー・ヤクスト線(ドイツ語版)と1869年にバート・メルゲントハイムからのタウバー谷線が通じるクライルスハイムまで1867年に開通し、これらの路線と連絡した。 アーレンからウルムまでオスタルプ (Ostalb) を経由する連絡線となる可能性を持つブレンツ線(ドイツ語版)は、1864年にハイデンハイム・アン・デア・ブレンツ(ドイツ語版)まで開通したが、最終的な目的地までは1875年から1876年になってようやく到達した。シュヴァルツヴァルトの温泉の街ヴィルトバートへは、1868年にエンツタール線(ドイツ語版)によりバーデンの結節点プフォルツハイムへ結ばれた。 ハイルブロンからはウンター・ネッカー線が1866年にヤクストフェルトまで延長され、さらにその3年後にはウンター・ヤクストタール線としてオスターブルケンまで延長された。どちらの駅でもバーデン大公国邦有鉄道と接続した。 オーバー・ネッカー線は1867年から1868年にかけて、ホルプからロットヴァイル(ドイツ語版)へ到達し、そこから1869年にシュヴァルツヴァルトのバーデンの都市フィリンゲン(ドイツ語版)へ到達した。同年、ロットヴァイルからトゥットリンゲン(ドイツ語版)までシュトゥットガルト - ハーティンゲン線に初めての列車が走り、そこからバーデンのシュヴァルツヴァルト線(ドイツ語版)のインメンディンゲンまでの連絡が1870年に完成した。 ウルムからはドナウタール線(ドイツ語版)がブラウボイレン(ドイツ語版)=リートリンゲン方面へ1868年から建設されたが、ジクマリンゲンまで1873年にようやく到達した。テュービンゲンから、1869年にヘーヒンゲン(ドイツ語版)、1874年にバーリンゲン(ドイツ語版)まで到達していたツォラーナルプ線が残りの区間を連結するには、さらに6年を要した。 シュヴァルツヴァルト線(ドイツ語版)はツーフェンハウゼン(ドイツ語版)から分岐して1868年から1869年にかけてヴァイル・デア・シュタットへ向けて建設開始され、1872年にカルフおよびナーゴルト(ドイツ語版)まで完成した。1874年にはプフォルツハイムからカルフ=ナーゴルトを通ってホルプへ到るナーゴルトタール線(ドイツ語版)が完成した。 ハーバーティンゲン(ドイツ語版)から1869年にアールゲウ線が、ザールガウ=アウレンドルフ(ドイツ語版)を経由してヴァルトゼー(ドイツ語版)へ向けて分岐した。そこからさらに、1870年にキースレッグ(ドイツ語版)まで、そして1872年にロイトキルヒ・イム・アールゲウ(ドイツ語版)へ達し、1874年にはイースニー・イム・アールゲウ(ドイツ語版)にも駅ができた。 さらに以下の路線を建設して邦有鉄道網を拡張した。 1876年 - 1880年 ムーアタール線(ドイツ語版) ヴァイプリンゲン - バックナンク - シュヴェービッシュ・ハルおよびバックナンク-ビーティッヒハイム/ルートヴィヒスブルクの支線(ドイツ語版) 1878年 - 1880年 クライヒガウ線(ドイツ語版) ハイルブロン - エッピンゲン 1879年 - 1892年 ゲウ線/キンツィッヒタール線(ドイツ語版) シュトゥットガルト - ヘーレンベルク - フロイデンシュタット - シルタッハ - シュランベルク 1886年 - 1889年 ロイトキルヒ-メンミンゲン線(ドイツ語版) 1892年 - 1893年 エハズ線(ドイツ語版) ロイトリンゲン - リヒテンシュタイン - ミュンジンゲン 第一次世界大戦の敗北後、1919年のヴァイマル憲法によりヴュルテンベルクの独立した鉄道組織は終焉を迎えた。ドイツ国と諸邦の協定により、1920年4月1日からヴュルテンベルク邦有鉄道(1918年11月30日のヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世の退位により、「王立」の冠が外れていた)はドイツ国の所有となり、同日バイエルン、プロイセン、ザクセン、バーデン、メクレンブルク、オルデンブルクなどの邦有鉄道とともにドイツ国営鉄道となった。
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