帰国と政治活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 00:19 UTC 版)
「シメオン・サクスコブルクゴツキ」の記事における「帰国と政治活動」の解説
1996年、50年ぶりに祖国であるブルガリアに帰国した。政治的な意図はなく、東欧革命後の民主化を象徴する出来事の一つという意味以外は持っていなかった。ところが当時のブルガリアでは経済改革がうまく行っておらず、元国王という肩書きと「西側」で実業家をしていたという経歴から、次第にシメオンに対する期待が高まった。これを受けたシメオンは、2001年に「シメオン2世国民運動」(2007年に安定と進歩のための国民運動(英語版)に改名)を結成し党首に就任、総選挙で議席の半数を獲得して首相に就任した。その後、ブルガリアの経済改革はシメオンの手腕によって回復方向に転じた(首相退任後のことであるが、2007年には欧州連合へ加盟に至った)。 元国王が祖国の首相として復帰した、というニュースは旧東欧が共産主義化した時に王位を追われた元国王・王族たちに一縷の希望を与えたが、シメオン2世に続いて祖国の政界に影響を与えるような存在になった人物は、他にはまだ出ていない(欧州議会議員となった旧オーストリア皇帝家のオットーとカールの親子のような例はある)。首相就任の際の共和国憲法への宣誓は王位放棄とも受け取られたが、自身は「王制復活の是非はブルガリア国民が決めること」とだけ述べ、復位の是非に関する直接的な言明は避けている。 2005年6月20日の総選挙において党は20%の得票にとどまり、31%の社会党の後塵を拝した。社会党の組閣は難航し、結局8月15日に社会党セルゲイ・スタニシェフ首班内閣に連立参加することで決着し、シメオンは首相の座を譲った。
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