帰国と知事就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:17 UTC 版)
「フランソワ=ガストン・ド・レビ」の記事における「帰国と知事就任」の解説
戦争終結後、レビはフランスに戻り、1761年に中将に昇進した。1766年には、アルトワの知事となり1771年には、新設された、ルイ皇太子の弟プロヴァンス伯爵ルイ・スタニスラス・グザヴィエの近衛軍の一中隊の隊長を拝命した。その後は、パリ、ベルサイユ、そして、領地があるアラスの行き来に時間を割いた。職務にきわめて勤勉であり、領地の社会整備の改善にも努力した。とりわけ、ベテューヌからリス川の運河の建設や、ブローニュ=シュル=メールとサントメールの間の道路の整備には力を入れた。 アメリカ独立戦争の最中には、かつての敵であり、メノルカ島の総督となったジェームズ・マレーと友好的に手紙を交わした。2人は、互いを大いに尊敬しており、レビは、マレーに奉仕することほど、自分にとって大きな喜びはないと語ったほどである。また、マレーが、パリ経由でイギリスに戻る際には、彼らはパリで旧交を温めあった。 1780年にはアラスの知事となり、1783年、陸軍最高位の元帥に昇進。翌1784年には公爵に叙せられた。1787年11月26日、アラスにて死去。彼の書類や手紙は、カスグラン(Casgrain)の修道院で収集され、出版された。
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