帰化、年寄として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:20 UTC 版)
帰化の際に2代大島の姓である「太田」を名乗ったことから、2代大島の養子となったと言われてきたが、実際は師匠に敬意を払って「太田」の姓を名乗ったものであり、2代大島の養子ではない。 日本国籍取得に際しては母国モンゴルで「なぜ祖国を捨てるのか」という非難の声も上がったが、旭天鵬は「将来親方となり後進を指導するためには日本国籍を取得する必要がある」現在の制度に従ったことを現地のマスコミに説明した。師匠である2代大島の定年退職後は、自身が引退して大島部屋を継承すると見られていたが、その後、師匠の退職後も現役を続行することを希望したため、師匠の退職に伴って大島部屋は閉鎖され、自身は友綱部屋へ移籍した。 2018年11月場所、弟子の魁鵬龍明が東三段目3枚目の地位で勝ち越しを懸けた7番相撲に挑んでいたが敗れて負け越しとなり、この時勝負審判として土俵下で取り組みを見ていた友綱は落胆して天を仰いだ。この様子はテレビ中継でも映し出され、Twitterでも話題になった。 自らが日本国籍を取得したことにより、母国モンゴルで家族はバッシングを受けたという。本人も「なんで日本国籍がないといけないの?」という疑問があったが、「ダメだったら母国に帰るのではなく、日本に骨を埋めようとしていると伝われば、応援しがいがあると思う。こういう指導でなきゃダメというのはない。国ごとの良さがある」という風に考えが変わってきたと、2021年の朝日新聞の取材に答えている。
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