帰化した経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 05:24 UTC 版)
ラモスの自著である『ラモスの黙示録』によれば、来日当初のラモスは日本人になるとは全く考えておらず、来日した正直な理由はお金のためだった。その後日本で長く暮らし日本人女性と結婚したものの、読売クラブのコーチから帰化を勧められた際には、自身の人生がクラブ事情(外国人枠)と天秤にかけられているように感じて初めはムッとした。帰化を決意したきっかけは一人娘である妻やその家族のためであると述べている。帰化した時点では日本代表に選ばれるとも思っていなかったため、日本代表に初招集されたときには、夢のようで嬉しくて涙がこぼれたとも述べ、もうブラジル人ではなく日本人になったのだと実感したと語っている。 2016年のインタビューでは帰化の経緯について少し違う話が出ている。ある監督がブラジルに帰るとき、一緒に行こうと誘いを受けた。しかしラモスの妻は一人娘で連れていくわけには行かない。所属している読売クラブは、ラモスが1年間出場停止になったりバイクで大怪我をしたときに、ラモスを守ってくれた。ラモスにとって読売クラブは自分のファミリーだった。監督からは「じゃあクラブに恩返ししなさい。帰化したら外国人枠が1つ増える」と言われた。母から人に恩返しすることを教えられていたこともあって、読売クラブへの最後の恩返しとして帰化することにした。
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