布施の強化と宮崎資産家拉致事件 (1994)
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「オウム真理教の歴史」の記事における「布施の強化と宮崎資産家拉致事件 (1994)」の解説
1994年、五仏の法則の「徳のためには他人の財産を盗むことは正しい」という教えに基づき強引な布施集めが激化し、ハルマゲドンから救済されるには出家か、在家なら全財産をお布施するかと問うた。出家でも全財産を差し出すので、いずれでも財産の提供が求められた。「オウム銀行に預金する」との名目でお布施を信者の親から出させる場合もあり、また「ハルマゲドンで銀行は倒産するから返済しなくて良くなる」と説いて銀行に借金させる場合もあった。この1994年頃には、全国各支部の担当者が「身ぐるみ剥ぎ取って丸裸にするぞ!」「徹底的にお布施させるぞ!」という決意の詞章を唱え、教団法務部は「国家に税金は払わないぞ!」と決意していた。資産家の信者で1億円の布施を出した事例もあった。 1994年3月には宮崎県資産家拉致事件が発生した。宮崎県小林市の旅館経営者の次女夫婦と三女がオウムに入信し、勝手に両親の入信届けを出した。その後、経営者の妻が脳内出血で倒れると、次女らは妻(次女らの母)名義の旅館の布施を要求した。経営者は拒否したが、次女らは妻をオウム真理教附属医院に入院させて、「オウムのおかげでよくなったから」と布施を要求した。経営者名義の別の土地が9000万円で売れると、信者らが旅館に来て布施を要求したが、経営者は拒否した。3月27日、三女が経営者に睡眠薬入りの茶を飲ませ、オウム真理教附属医院に連行、次いで第6サティアンに監禁した。その間、三女は経営者の銀行口座から金を引き出そうとするが、事前に拘束措置を講じていた。監禁された経営者は何度も帰宅を懇願したが、次女は「薬のいらない体になるまで頑張って」と繰り返すだけだった。脱出を考えたが、捕まったら殺されそうだったので、入信のふりをして修行し、「オウムはいい所」とテープに録音させられた。次女の要求に応じて経営者が1100万円の布施を約束すると、8月21日に解放された。9月1日、旅館経営者は次女夫婦と三女、教団関係者らを誘拐、私文書偽造同行使、詐欺未遂で告訴した。会見には次女夫婦と三女らが乱入し、経営者に協力していた長女の夫を平手打ちして「お父さんの遺産目当てなのよ!」とか、「だまされないで!」とか、警官に排除されるまでわめき散らした。のち、宮崎地方裁判所は三女や四女、教団福岡支部長らに懲役2~3年の実刑判決を宣告した。
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