差し駕籠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:57 UTC 版)
原作者の企図した本来のクライマックスが、4段目の「切」に位置する二人奴の段の終盤、「差し駕籠」の場面である。これは信太の森で石川悪右衛門一味に襲われた葛の葉姫と童子が、与勘平と野干平が担ぐ駕籠に乗って逃げようとするシーンで、諸肌脱いだ二人の奴が勇壮に駕籠を高く差し上げることから「差し駕籠」の名前が付いた。 このシーンがクライマックスであったことは、現代人の目から見ると意外感があるが、これを理解するには、本作における与勘平・野干平が江戸時代の観客からどう見られていたかを知る必要がある。 江戸時代の奴は武家の下級家人であり、その特異な風貌、衣装、言葉遣い等によって、流行の最先端を行く、いわばファッションリーダーであった。江戸時代版「ちょいワル」とでも言うべき彼らを真似る町人(町奴)や芸妓が続出し、歌舞伎界もこの風潮を積極的に取り入れた。本作の与勘平・野干平は、そうした流れの中に位置するもので、荒事の主役と認識され、差し駕籠のシーンの与勘平・野干平には保名・葛の葉を演じた主役級の役者が演じることが慣例となっていた。大スターが最新のファッションに身を包んで決めポーズをとるのが「差し駕籠」だったのである。 差し駕籠は時代とともに変容していき、駕籠に乗るのが葛の葉姫・童子親子から悪右衛門に変わって最終盤へと登場箇所も移動。駕籠の担ぎ手は時代を下るにつれてどんどん増えて、それに合わせて役割番付は「ナントカ勘平」という役名であふれた。こうなると、決めポーズというよりも、祭りの神輿担ぎ的なシーンに変貌する。さらに舞台装置が近代化して、ウインチとワイヤーで駕籠を吊り下げることとなり、初演時とはかなり様変わりしたシーンとなった。奴風俗が世間の憧れの的だった事実すら忘れ去られて久しいこともあり、近年上演される機会はほとんどない。
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