山口素堂
(やまぐちそどう)
(寛永19年(1642)5月5日~享保元年(1716)8月15日、享年75歳)
甲州白州巨摩郡教来石山口(現山梨県北杜市白州町。現在では、近くにサントリー白州ディストラリーがある)の人と言われている。 父山口市右衛門の長男として誕生し、甲府魚町で家業の酒造業を営んでいたが、向学心に燃えて家督を弟にゆずり江戸に出て、漢学を林春斎に学ぶ。芭蕉とは2歳ほど年上だが、相互に信頼しあって兄弟のような交わりをした。儒学・書道・漢詩・能楽・和歌にも通じた 当時稀有な教養人であった。(以上『甲斐国史』による)名は信章<しんしょう>、字は子晋<ししん>、通称は勘兵衛。俳号素仙堂・其日庵・来雪・松子・蓮池翁など多数。子晋・公商は字。趣味も多彩で、蓮を好んだことから「蓮池翁」などと呼ばれた。 延宝4年には『江戸両吟集』を、延宝6年には『江戸三吟』を芭蕉との合作で発表。75歳で死去。 「四山の瓢」参照。素堂の代表作
目には青葉山ほとゝぎす初がつほ(『あら野』)
池に鵞なし假名書習ふ柳陰(『あら野』)
綿の花たまたま蘭に似たるかな(『あら野』)
名もしらぬ小草花咲野菊哉(『あら野』)
唐土に富士あらばけふの月もみよ(『あら野』)
麥をわすれ華におぼれぬ鴈ならし(『あら野』)
髭宗祇池に蓮ある心かな(『炭俵』)
三か月の隠にてすヾむ哀かな(『炭俵』)
うるしせぬ琴や作らぬ菊の友(『續炭俵』)
行ずして見五湖いりがきの音をきく (『 去来抄』)
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