尾車部屋預かり時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:24 UTC 版)
押尾川部屋の閉鎖に伴って所属力士は尾車部屋へ移籍することを希望し、2005年(平成17年)4月1日付で若兎馬・若麒麟ら6人全員が同部屋に移籍した。力士以外には呼出の禄郎も尾車部屋に移籍したが、その他の裏方は共に呼出の志朗と吾郎は大嶽部屋に、床山の床中は錦戸部屋に移籍した。押尾川部屋付きだった11代不知火(元関脇・青葉城)は部屋閉鎖に先立って2004年(平成16年)12月1日付で尾車部屋へ移籍していた。 年寄名跡「押尾川」は17代の弟子だった若兎馬が名乗ったが2010年(平成22年)8月9日付で退職し、尾車部屋所属の豪風が取得。その後、元関脇・豪風は2019年(平成31年)1月場所限りで現役を引退して22代押尾川を襲名。22代はそれから3年間尾車部屋付きとして活動した。 2021年(令和3年)4月、22代押尾川は2022年(令和4年)春に独立する予定であると公表した。当時の報道では同時期に停年(定年)退職となる8代尾車(元大関・琴風)の後を継ぐ形で「尾車部屋」を継承する可能性があるとも報じられていた。2021年5月からは尾車部屋の公式サイトに「来春独立『押尾川部屋』誕生へ!」と題したページを掲載し、独立と新弟子募集を告知した。 2022年(令和4年)1月27日、日本相撲協会は定例理事会で尾車部屋の閉鎖と押尾川部屋の新設を共に同年2月7日付で承認した。尾車部屋所属の力士らは押尾川部屋と二所ノ関部屋へ分かれて転属することになり、旧押尾川部屋関係者では飛燕力が17年ぶりに押尾川部屋所属に戻るが、呼出の禄郎は二所ノ関部屋へ移ることになった。
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