就航から洞爺丸事件までとは? わかりやすく解説

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就航から洞爺丸事件まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:15 UTC 版)

大雪丸 (初代)」の記事における「就航から洞爺丸事件まで」の解説

青森 - 函館間の所要時間は、1944年昭和19年4月からの翔鳳丸型とほぼ同じ下り4時30分、上り4時40分とした。1948年昭和23年11月27日本船就航により、戦後建造着手した車載客船4隻と車両渡船4隻全て就航し、既に戦災復旧されていた第六青函丸含め車両航送のできる船は14となって、数の上では戦時中12隻を超えた。しかし、事故故障頻発して休航多く1949年昭和24年)夏までは景福丸徳寿丸運航加わっていた。 これより前の 1947年昭和22年10月からは、LSTを含む諸船を含めて15往復運航であったが、1949年昭和24年12月から旅客便5往復貨物便13往復の計18往復となり、同年度の貨物輸送量は350トン突破して1943年昭和18年)度の実績364トンに迫るものであった。 しかし、1951年昭和26年5月から1953年昭和28年9月までは、たびたび出現する浮流機雷への警戒のため、夜間運航中止もあったが、以後18往復戻されていた。それでも貨物輸送量は1951年昭和26年)度には440トン戦時中実績1944年昭和19年)度385トン)を上回り旅客輸送人員1953年昭和28年)度には215万人戦時中実績1943年昭和18年)度210万人)を上回った

※この「就航から洞爺丸事件まで」の解説は、「大雪丸 (初代)」の解説の一部です。
「就航から洞爺丸事件まで」を含む「大雪丸 (初代)」の記事については、「大雪丸 (初代)」の概要を参照ください。

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