小諸を去る辞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 00:32 UTC 版)
1901年に伊藤長七が、信州を去る際に詠んだもので、伊藤長七の傑作として名高い。小諸善光寺の境内に伊藤寒水碑があり、その背面にも一部が刻まれている。 ああ我、またついに小諸を去らざるべからざるか。懐かしき哉、小諸の土地よ御身の四周をめぐれる山と水と御身の身辺をかざれる森と花と御身の上を流るる清涼の空気と御身が生みたるあどけなき少年少女と御身の中にそばだち見ゆる小諸小学校の建物とまた特に我が受け持ち百三十人の少年を教えたる薄暗き土蔵と 楽しかりしは晩春の修学旅行なりき。行を共にせしもの三百人。小諸の停車場を出発せし時の勇ましさ。あるは春日山頭、瞳を日本海の白帆にはせて、越州の山河をさしつつ、いにしえ、英雄の壮図を談じ、あるは北海の豪涛に脚を洗わせつつ真砂の上に鰯の網を引き、直江津の客舎に我が愛しの子らと一夜の夢を結びたること、いずれか忘れ難き思い出にあらざらん。 我が高等一、二年の男女生徒と共に催したる運動会よ。げに、いじらしきは彼ら小国民の意気なり。 無心の少年少女が彼らの先生と共にいかに甲斐甲斐しく走り、いかに健気に相撲せしかよ。 小諸学校に赴任以来、一日として安かるべき日は無かりしが、特に去年冬、我が校内に正義の光踏みにじられし時、あまりの馬鹿馬鹿しさに、学校を去るべき一種の決心を固めつつ、吾教室に臨みしが、百余の児童只無心にして吾を頼らんとすべき顔容をみて、吾は吾決心の如何に残忍なりしを悟り、双眼の涙にくもるを覚えざりき。 顧みる、信濃教育界における我が三カ年の歴史を思えば、恍として只夢のごとし。さらば浅間の山さらば千曲の川さらば小諸の知己さらば我が学校の諸君さらば我が教えの庭の子等さらばよ故国信濃の山河 健在なれ いざ別れん哉
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