小田中古墳群
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小田中古墳群(こだなかこふんぐん)は、石川県鹿島郡中能登町小田中にある古墳群。親王塚古墳・亀塚古墳の2基からなる。実際の被葬者は明らかでないが、両古墳は宮内庁により「大入杵命墓(おおいりきのみことのはか)」およびその陪冢(陪塚)に治定されているほか、中能登町指定史跡に指定されている(指定名称は「親王塚及び亀塚古墳」)。
- ^ 墳形は現状では円墳であるが、本来は帆立貝形古墳だったとする説もある (谷内尾晋司「古墳文化」『鹿島町史 資料編(続)上巻』 鹿島町、1982年)。この説は周濠が一周しない(馬蹄形と見られる)ことを傍証とするが、2011-2012年度の測量調査によれば、周濠が一周しないのは周辺地形の制限によるとも見られている (書陵部紀要 陵墓篇 第66号 2015, pp. 1–23)
- ^ a b 小田中古墳群(平凡社) 1991.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 書陵部紀要 陵墓篇 第66号 2015, pp. 1–23.
- ^ 『新編日本古典文学全集 46 平家物語 (2)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、p. 38。
- ^ a b c 中能登町の指定文化財一覧 (PDF) (中能登町ホームページ)。
- ^ a b 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 400。
- ^ a b 親王塚古墳の紹介(中能登町ホームページ)。
- ^ a b 書陵部紀要 第43号 1992.
- ^ 「小田中新王塚古墳(大入杵命墓)・亀塚古墳調査見学記」『石川考古 第201号』 石川考古学研究会、1990年。
- ^ "中国製と国産の「中間」 能登で出土の三角縁神獣鏡"(日本経済新聞、2016年2月5日記事)。
- ^ 『石川県鹿島郡誌』 鹿島郡自治会、1928年。
- 1 小田中古墳群とは
- 2 小田中古墳群の概要
- 3 概要
- 4 小田中亀塚古墳
- 5 出土品
- 6 外部リンク
小田中亀塚古墳
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小田中亀塚古墳(こだなかかめづかこふん)は、親王塚古墳の北西40メートルの地にある古墳。形状は前方後方墳。 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大入杵命墓」の陪冢(飛地い号 亀塚)に治定されている。
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