小浜線、花沢線
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「しずてつジャストライン焼津営業所」の記事における「小浜線、花沢線」の解説
概説静岡鉄道が、東海道本線が使用していた旧石部隧道を経由して、静岡清水線と駿遠線を結ぶ「焼津延長線」を構想し、その計画線上の旧石部隧道を経由して焼津駅から高草山麓の花沢地区、小浜地区、用宗駅を結ぶバス路線を「小浜線」として開設した。 1950年代後半に東海道新線計画(のちの東海道新幹線)により 東海道本線が再び旧石部隧道を改修して使用する事となったため、花沢地区まで区間縮小し「花沢線」となった。 焼津簡易保険保養センターの開業を機に支線として保養センター系統が設けられたが、1978年(昭和53年)の国道150号バイパス開通を機に花沢地区の系統は野秋まで区間を縮小し「静岡焼津線」の焼津駅 - 野秋系統に整理され「花沢線」は廃止となった。残る保養センター系統は「保養センター線」として存続した。 沿革1946年(昭和21年)6月20日 - 静岡鉄道が静岡清水線の運動場前駅(当時)から国鉄静岡駅南口、旧石部隧道、焼津を経由して駿遠線相川駅(大井川)に接続する新規鉄道路線「焼津延長線」(仮称)を申請し、1950年(昭和25年)12月23日に免許を得た。 1950年代中盤頃 時期不詳 「小浜線」が開設された。 1958年(昭和33年)12月19日 - 東海道新線計画が閣議で承認され、東海道本線が使用していた日本坂トンネルを新線が使用し、旧石部隧道と磯浜隧道を改修して石部トンネルとして再び使用することが決定した。これを受け1950年(昭和25年)に免許を得ていた「焼津延長線」計画は断念されたが、石部トンネルの工事開始まで路線は維持された。同年の時刻表では「小浜線」は次の運行経路であり、1日5往復の内、朝晩の2往復が焼津-用宗間の運行であり、日中の3往復は焼津駅 - 小浜間の区間便であった。焼津 - 港町 - 当目大橋 - 虚空蔵尊入口 - 本脇入口 - 花沢入口 - 小浜 - 磯浜 - 用宗 焼津 - 港町 - 当目大橋 - 虚空蔵尊入口 - 本脇入口 - 花沢入口 - 小浜 1961年(昭和36年)頃 - 東海道本線の石部トンネル付け替え工事の開始に伴い区間縮小し「花沢線」となった。 1968年(昭和43年)8月 焼津簡易保険保養センター(現・焼津かんぽの宿)が開業し、焼津駅と同センターを結ぶ系統が誕生した。 1977年(昭和52年)2月の路線図では次の2系統が確認できる。焼津駅前 - 当目大橋 - 虚空蔵尊入口 - 保養センター入口 - 石脇入口 - 小浜入口 - 野秋 - 吉津 焼津駅前 - 当目大橋 - 虚空蔵尊入口 - 保養センター入口 - 保養センター前 1978年(昭和53年)国道150バイパス開通により、野秋・吉津系統が「静岡焼津線」の国道150号バイパス系統に集約され、残る保養センター系統は「保養センター線」となり「花沢線」は廃止された。
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