小浜藩出仕
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弘化2年(1845年)駿河国沼津宿町医武田悌道の子として生まれた。安政6年(1859年)兄武田簡吾の『輿地航海図』出版が咎められ、一家が取り調べを受ける中、校閲を担当した杉田玄端義兄成卿が2月死去したため、4月3日その養子として拾われ、5月25日小浜藩の跡式140石を相続し、同年栄寿院の病気を担当した。 文久2年(1862年)4月18日屋敷詰。文久3年(1863年)6月9日藩主に従い大坂へ向かうも、見附宿で引き返し、23日帰着した。7月2日奥医師の人手不足によりこれを手伝い、元治元年(1864年)1月11日恭丸の出生に携わった。
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