小浪義明による経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 02:25 UTC 版)
「ミカド (キャバレー)」の記事における「小浪義明による経営」の解説
その後、ミカドの経営は神戸『新世界』・大阪『エムパイア』『クラウン』といった大型キャバレーの成功で名を馳せていた神戸出身の小浪義明(近畿観光)が買収する形で引き継ぎ、華美な面を省くなど大々的な改装が施され、ゴールデンタイム、サンデーサービスを設け、高級路線の大衆(グランド)キャバレーとして装いも新たに翌1965年11月に再オープンした。営業担当の畑本克己が銀座中のクラブやキャバレーよりホステス、マネージャー、バーテンダー、ボーイ(ウェイター)を引き抜いた事が業界で大問題となったが、最盛期には500名のホステスを抱え大成功を収める。1967年には渋谷のリキ・スポーツパレスを買収しキャバレー『エムパイア』を開店させる。 一方、同年11月になると赤坂の外堀通り沿いに、榎本正が600坪のマンモスキャバレー『ナイトシアターロイヤル赤坂』を開店させる。榎本はかつて『キャバレー美松』のオーナーとして銀座で大成功を収めたが、1962年に保証給の賃上げ問題を理由に閉店、1964年には跡地を三越へ売却したあと、花柳街の雰囲気が色濃く残る赤坂に当時まだ3件程しかなかったキャバレー経営に乗り出した。こうして榎本と小浪は赤坂でしのぎを削る事となるが、結局質と規模で勝るミカドに軍配が上がる。それらの功績から小浪は“キャバレー王”の異名を冠せられる。
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