寮食堂が文化芸術拠点に
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「京都大学吉田寮」の記事における「寮食堂が文化芸術拠点に」の解説
1986年4月、「在寮期限」の影響で寮食堂は出食機能を喪失した。その後しばらくの間、寮食堂は寮生の作業場や吉田寮祭やクリスマスパーティー、近隣のサークルの会議等に供されていた。翌1987年6月、吉田寮自治会は大阪を中心に活動していた劇団「満開座」から寮食堂で公演を開きたいと打診された。これに対して吉田寮自治会は、面白そうだという意見、廃寮反対のアピールに利用できそうだという思惑、および「吉田寮は吉田寮生だけのものではなく外部に開かれているべきで、外部の人々との交流が寮の在り方をよりよいものにしていくだろう」という考えから満開座に寮食堂を貸し出した。公演は9月17日から23日にかけて行われた。この公演以後、アマチュアバンドや劇団など沢山の寮外の個人や団体が寮食堂を使用するようになり、やがて寮食堂は京大における文化的・芸術的活動の拠点となった。しかし食堂使用者が増えるにつれ、吉田寮自治会が寮食堂を開放している理由――寮自治、学内自治への理解と支持を得る――を理解しない者や、寮食堂を好き勝手に使える場所としてしか考えない者も増え、様々な問題が生じるようになった。これらへの対応として1996年、文化部食堂局員と食堂利用者からなる「食堂使用者会議」が発足し、毎月の会議に参加しなければ寮食堂を使用できないというルールが導入された。また、食堂使用者会議での議論を経て食堂使用マニュアルが整備された。当マニュアルの基本原則は「吉田寮食堂は自主管理」「食堂使用は自己責任」「運営は話し合いで」の三点で、寮生のみならず食堂使用者も食堂の運営に主体的に関わるべきだという考えが明記されていた。これによりトラブルは減少し、2005年まで寮食堂はおおむね問題なく運営された。
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