寮長としてのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:49 UTC 版)
武宮が鬼寮長として若い選手に厳しく接していたのは軍隊生活に由来するという。「選手が野球をやめるということは死ね、というのと同じこと。だから死なないように厳しく鍛えた」と言う。 朝は必ず部屋の窓を開け、布団をたたんでから散歩に行くよう徹底させ、その間に各部屋をチェックして回り、片付いてなければ外出禁止を課すなどがあったが、厳しさの中にはユーモアもあり、寮生が全員でシャワーを浴びていたときに、シャンプーを流しているところに、また上からシャンプーをかけるような子供っぽいところがあったという。 馬場正平(後のプロレスラー・ジャイアント馬場)が巨人に入団した時、馬場の背丈の大きさに驚き、「二人部屋ではきついだろうから」ということで馬場にのみ個室を与えたという。 多くの選手を見る中で「コイツは将来はいい指導者になるな」と思う選手もいて、特に西武ライオンズで名将として、後に名を馳せた森昌彦(現:祇晶)については「将来は球界を背負う指導者になるな」と早くからその辣腕ぶりを見抜いていた。 武宮が選んだ歴代の寮生ワースト3は王貞治、柴田勲、堀内恒夫。いずれも名球会入りした好プレーヤーであった。彼らが門限破りをすると武宮は竹刀片手に玄関で一晩待っていたり、また門限破りに限らず規則違反者には竹刀で制裁することもあり、実際に堀内らが規則違反をしたことが発覚した際には、武宮に竹刀で数発叩かれたエピソードを語っていた。また一人が帰ってこない事を聞くと全寮生を廊下に集め、その選手が帰宅するまで正座させていたなど、武宮にはこの手のエピソードが多く残されている。 柴田勲は「毎日のように怒られていたが、その分活躍しているから許すともいわれて嬉しかった」と武宮の人柄を評している。 渡辺秀武に「メリーちゃん」のあだ名をつけた。TVCMに出ていたチンパンジーの「メリーちゃん」を見て「渡辺に似てる」と思い命名した。 篠塚和典が未成年の頃、喫煙を見つけた武宮は「20歳になるまでタバコは吸いません」と毎日100回1ヶ月連続で書かせた(篠塚のブログによる)。 西本聖が入団した時、同じ高校生でドラフト1位の定岡正二との待遇の差にくじけそうになった西本を(西本はドラフト外)武宮は「一度巨人のユニフォームを着ればドラフト1位もドラフト外も関係ない。みんなスタートは同じだ」と激励し、西本はこの言葉に勇気付けられたという。 原辰徳は入団後僅か半年で退寮することとなったが、武宮は「1年たたずに退寮するのはおまえぐらいだ。だが(当時既に活躍していたので)許す!」と快諾してもらったという。
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