富士山丸・三代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 08:48 UTC 版)
「富士山丸 (飯野海運)」の記事における「富士山丸・三代」の解説
船歴起工 1956年11月24日 進水 1957年3月24日 竣工 1957年6月15日 その後 1977年に解体 主要目総トン数 20,324 トン 載貨重量トン数 33,533 トン 全長 192.02 m202.194 m 垂線間長 192.02 m 型幅 26.52 m 型深 13.87 m 吃水 10.439 m 主機 タービン機関 1基1軸 出力 15,825馬力(最大)13,500馬力(常用) 航海速力 16.0ノット 最高速力 17.24ノット 乗員 59名 第二次世界大戦終結から10年を経て、タンカーもこれまで以上に大型化されて一隻あたりの総トン数は20,000トンを超過するようになり、いわゆる「スーパータンカー」の時代に突入した。飯野海運でのスーパータンカー第1船は昭和31年に第11次計画造船で建造された「泰邦丸」(20,254トン)が最初であった。三代目の「富士山丸」は第12次計画造船に基づき、昭和31年11月24日、奇しくも二代「富士山丸」が「定島丸」と改名して鉱石運搬船に変身した翌日に播磨造船所で起工され、1957年(昭和32年)3月24日に進水、6月15日に完成した。総トン数だけを見れば20,254トンの「泰邦丸」とあまり変わらないが、重量トン数は「泰邦丸」より約1万トンも重かった。 竣工後、「富士山丸」は飯野海運のスーパータンカー船隊の一角として行動し、竣工した時点では、飯野海運最大の所有船だった。第二次中東戦争後の長期的な不況や海運集約による業界再編成、マンモスタンカーの時代を通じて20年間運航され、1977年(昭和52年)1月28日に韓国の業者に売却の上、馬山で解体された。
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