家系図騒動
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2015年7月10日放送のNHKのドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』に出演、同番組内において、祖先は「戦国大名・大友宗麟の家臣、鳥越興膳」と紹介され、「関ヶ原の戦いで敗れた側」のルーツを持つと知った俊太郎は、反権力を是とする自身と重ね合わせ「昔から権力側にはつかなかったんだな」と納得した様子だった。(ただし、関ヶ原の戦いは、両軍とも、当時のご公儀である豊臣家を奉じて戦っている) しかし、放送直後に、鳥越家18代当主の鳥越光は「興膳はうちの先祖です」と放送内容を否定した。鳥越光を当主とする鳥越本家は、興膳を先祖とする大地主で、藍染、酒造事業でも成功した。なお鳥越光の先々代は貴族院議員を務めた鳥越貞敏(1867年 - 1925年)である。 二つの鳥越家の関係について、光は「もともと俊太郎の家は江戸の末期くらいから米を脱穀する仕事をやっていた。その後、俊太郎の曽祖父がうちの斜め向かいに引っ越してきた。50坪の場所で米を量り売りする米穀商店を始めた。偶然、姓が同じなだけで、俊太郎の家とうちは血縁関係はない」「今から40年程前、俊太郎さんの伯父、繁喜さんの依頼で郷土史家の熊谷光雄さんという方がうちに来て、興膳などについて色々話したことがあります。『私が家系図を作ります』と言っていたので、その時調べたことが今回の家系図に繋がっていると思います。それから、30年位前、俊太郎さんの父親、俊雄さんと母親、綾子さんが、うちに『先祖が分からないので協力してほしい』と来たこともあったな。その時は、こちらの家系図を見せました。二人で指さしながら色々話し込んでいましたから、その時、うちの家系図をメモでもしたのかもしれません」と述べている。また、「NHK側と話をするうちに段々と旗色が悪いと思ったのか、帰り際には『穏便にしましょう。これで終わらせましょう』と言われた」と明かしている。 しかし、2016年2月に掲載された朝日新聞のインタビュー記事でも、俊太郎は自身の祖先が興膳である旨を発言した。光は「抗議内容が俊太郎に伝わっていない」と再度NHKに抗議したが、NHK側からの連絡はまったくないという。『ファミリーヒストリー』は通常再放送があるが、俊太郎の出演回は再放送されなかった。 俊太郎は「(昨年7月の)放送の後、番組にクレームがあったというのは聞きました。でも、具体的な話は何も聞かされていません。朝日新聞で興膳について触れたのは、記事を書いた記者の作文でしょう。もちろん私もゲラで確認したから責任がないとは言わないが、私から興膳の話を積極的にしたわけじゃない。とにかく、私は家系図については全く関与していません。家系図が間違っていると言われても、『へぇ』と驚くしかないね」と語っている。鳥越の対応に対し、同業者であるジャーナリストから「廃業モノの大失態だ」との批判がある。
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