家族と死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 16:51 UTC 版)
エリオットは2回結婚している。初婚の相手はバンド仲間のジェームズ・ヘンドリックスで、1963年に結婚した。この結婚はベトナム戦争の間、彼が兵役を避けるための偽装結婚だったと言われ、初夜を迎える事なく1968年に無効となった。1971年にはジャーナリストのロナルド・フォン・ヴィーデンマン男爵と結婚した。フォン・ヴィーデンマンはドイツ・バイエルン州の男爵家の継承者だった。この結婚は数ヶ月で破局し離婚に到った。 エリオットは1967年4月26日にオーエン・ヴァネッサ・エリオットという女の子を出産した。エリオットは娘の父親を決して明かさなかったが、長年を経た後、ミシェル・フィリップスがオーエンの実父を突き止める手助けをした。オーエンは母親同様に歌手になり、元ザ・ビーチ・ボーイズのアル・ジャーディンとツアーを行なった。 1974年、エリオットはソロ活動の絶頂期に、ロンドン・パラディアム劇場で満席となった2度のコンサートを開いた。彼女は最後のコンサートの後、ミシェル・フィリップスに電話をかけ、各夜ともスタンディングオベーションを受けたことを元気よく語った。彼女はその後床に付き、そして睡眠中の心筋梗塞で死去した。 エリオットがハムサンドを喉に詰まらせて死んだという都市伝説が生まれた。彼女の遺体が発見された直後の警察の発表では、彼女の部屋で食べかけのサンドイッチが発見され、これを食べている時に窒息した可能性が語られている。検死官による検死の結果、気管に食物は発見されず、死因は心筋梗塞であり、睡眠中の死であったと断定された。しかし、その時には既にもっともらしい噂が広まっており、本当の死因が話題になることは殆ど無かった。エリオットは奇しくも4年後にザ・フーのドラマー、キース・ムーンが他界することとなる、同じメイフェア・カーズン街9の12号フラットで息を引き取った。 エリオットの死後、妹のリア・カンケル(名セッションドラマーのラス・カンケル (Russ Kunkel) と結婚してカンケル姓となった)が、7歳になったばかりの娘、オーエンを引き取った。カンケルもまた歌手であり、レネー・アーマンド、マーティ・グウィン・タウンゼントと組んだトリオ、コヨーテ・シスターズ (Coyote Sisters) のメンバーとして、1984年に「Straight From The Heart (Into Your Life)」というシングルをヒットチャート入りさせている。カンケルは1997年にVH1のドキュメンタリーシリーズ『Behind The Music 』が「ママス&パパス」を特集した回でインタビューを受け、有名な姉について語っている。
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