宮司の継承を巡る騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:08 UTC 版)
2006年(平成18年)、中津市薦神社宮司(始祖は宇佐春海権大宮司)が79代宇佐神宮宮司に就任した。ZAKZAKによると、神職になって間もない世襲家の女性(78代宮司の長女)の代役だったという。79代宮司が2008年(平成20年)8月に病死すると、宇佐神宮の責任役員会は、権宮司となっていた世襲家の女性を後任の宮司として神社本庁に推薦したが、神社本庁側は女性が経験不足であるとして承認せず、宮司職は空席になった。 2009年(平成21年)に神社本庁が大分県神社庁の穴井伸久庁長を特任宮司に選出すると、宇佐神宮の責任役員会と氏子総代会はこれに反対して、女性権宮司の80代宮司就任を決め、神社本庁へ離脱届を提出した。 女性権宮司は2010年(平成22年)3月に神社本庁を相手取り宮司職の地位保全を求めて大分地裁中津支部に提訴するも、請求棄却となり敗訴、2011年(平成23年)11月29日には福岡高裁でも控訴棄却で敗訴。最高裁にて2013年(平成25年)5月9日、女性側の上告が退けられ、敗訴が確定した。 2013年(平成25年)、宮司の地位が認められなかった女性権宮司が、職場環境や業務内容に不満を抱き改善を要求し裁判を起こしたが、それに対し、神宮側は女性権宮司の勤務態度に問題があるとして給与を大幅カットした。対立から社務所で小競り合いがあり、女性権宮司が全治3週間のけがを負わされたとして男性権宮司を告訴した。 2014年(平成26年)5月15日、神社本庁は女性を権宮司から免職し、宇佐神宮は女性を解雇した。 2015年(平成27年)12月、宇佐神宮の氏子総代と大分県神社庁宇佐支部の役員が、穴井宮司には職務遂行能力が欠如しているとして、解任を求める嘆願書を神社本庁へ提出した。翌2016年(平成28年)、穴井宮司は神社本庁統理の北白川道久宛に2月2日付で退職願を提出し、同月19日に受理された。 同月、神社本庁前総務部長で大分県大分市にある早吸日女神社宮司の長男が後任の宮司に就任したが、2017年(平成29年)5月には大分県神社庁宇佐支部が、新宮司は高圧的・独善的で、関係修復をする心は皆無であるとして、宇佐神宮の祭典への協力や寄付要請を拒否することを決議するとともに、支部事務局を宇佐神宮内から宇佐市内の桜岡神社に移し、両者は絶縁状態になった。
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