安田城跡とは? わかりやすく解説

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安田城跡

名称: 安田城跡
ふりがな やすだじょうあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 富山県
市区町村 富山市
管理団体
指定年月日 1981.02.23(昭和56.02.23)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S54-6-033安田城跡.txt: 安田城跡は神通川支流井田川氾濫低湿地防禦利用した戦国末期平城遺構である。大字安田殿町割にあり井田川左岸の微高地上にある。旧飛騨街道面した大門という屋号の家のあった場所より大門道と呼ばれる道が城内通じている。安田城占地はこの陸上交通井田川河川交通をも重視したのである
 昭和52・53圃場整備事業との関連富山県埋蔵文化財センター試掘調査行った結果、堀、土橋遺構検出され金沢市立図書館に残る安田城古図に合致する遺構残っていることが確認された。即ち古図には3つの曲輪記されているが、それは現在大城小城、鐘突堂と呼ばれる地域に微高地として残っている(鐘突堂は削平が著しい)。中世には本丸二の丸という呼称より大城小城という呼称用い場合があったこと、また鐘突堂のように城郭間の連絡機能がよくわかる。他に孫左屋敷、塀廻、堀という地名もある。
 『越登賀三州志』によれば天正13(1585)年豊秀吉越中攻の際、富山城佐々成政攻撃する前進基地として呉服山陣城即ち白鳥城にあった前田氏部将岡島一吉をこの城に移している。岡島一吉は天正18(1588)年に安田城大門隣接する中堂寺に田畑寄進しており(中堂寺文書写)、佐々氏降服後も安田城恒常的に使用されたと考えられる。また『越登賀三州志』は天正7(1579)年以降しばしば文献登場する安城安田城こととしている。佐々氏時代よりの城ということになるが、安城即ち安田城であるかはなお検討要する
 戦国時代平城近世以来耕作や、昨今圃場整備・宅造によって失われたものが多い。そのような事情考慮し比較的よく遺構の残る安田城跡を指定し保存をはかるものである。
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史跡:  安来一里塚  安永田遺跡  安満遺跡  安田城跡  安芸国分寺跡  安部谷古墳  宗像神社境内



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