守備・打撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:18 UTC 版)
フィールディングに優れ、NPB在籍8年間(西武時代)のうち、資格を得ていた7年すべてでゴールデングラブ賞を獲得した(2002年のみ投球回・試合数の不足のため同賞の有資格者ではなかった)。MLB時代は2014年までの通算DRS-9を記録している。松坂は、後の小倉清一郎との対談で高校時代に小倉がフィールディング、牽制、クイックなどを徹底的に仕込んでくれたからプロ入り後は投げるだけに専念すれば良かったと答えており、小倉に感謝している。 打撃が好きなことを公言しており、西武時代は気分転換もかねて打撃練習もトレーニングに取り入れていたが、レッドソックス移籍後はインターリーグ時でしか打撃練習を許されなかった。 高校時代は4番の打順に入っていた時期もあり、高校通算14本塁打を記録。2000年8月7日のオリックス戦では、9回二死満塁の場面で代打として登場。栗山聡からファウルで粘った後の7球目を中堅前安打し、2打点を挙げた。2002年の日本シリーズでは、当時の監督の伊原春樹は投手を8番に置き、9番打者をシーズン同様に高木浩之とすることを示唆していたが、松坂には7番を打たせた。2006年6月9日のセ・パ交流戦・阪神戦(甲子園)では、8回表二死三塁の場面でダーウィン・クビアンの150km/hの高めのボール球を叩いて2点本塁打。DH制施行後、パ・リーグの投手としては4人目の記録となった。レッドソックス移籍後の2007年6月10日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でランディ・ジョンソンから2打席2三振を喫し、6月22日のサンディエゴ・パドレス戦でも、グレッグ・マダックスを相手に2打席とも内野ゴロに倒れ、1年目のレギュラーシーズンは無安打に終わった。しかし、ワールドシリーズ第3戦のロッキーズ戦で、3回表二死満塁の場面でジョシュ・フォッグの初球を叩き、メジャー移籍後初安打を記録し2打点を挙げた。ワールドシリーズでレッドソックスの投手が2打点を挙げたのはサイ・ヤング、ベーブ・ルースに続いて史上3人目だった。また、日本球界復帰後の2018年にはマルチ安打を記録した。
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