孤独への視線の恐れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 03:25 UTC 版)
便所飯が行われる理由の一つとして、孤独でいることに対する視線を避けるため個室を利用するというものがあり、これを解決すべき社会問題とする向きもある。 企業や学校などの集団生活の中では、友人の数でその人物の魅力を計るような価値観が一般に存在し、友人がいないと見られる者はそれだけで否定的な評価を受けることが少なくない。昼食時など自由行動の場では友人同士で固まることが多く、各自の友人の数が如実に可視化されることになる。そのため、友人がなく、周囲から友人がいない(魅力がない)人と認識されることを避けようとして、人目を避けて便所の個室で隠れて食事が摂られることがある。 大阪大学の社会学准教授の辻大介は、朝日新聞にて便所飯について「限られた関係の中で友達を作らねばならず、それに失敗した者は、孤独だけでなく、友達のいない変な人という烙印の視線にも、耐え続けなければならない。二重の意味で疎外されるのである。その視線から逃れる場所は、それこそトイレの個室くらいしか残されていない」と分析している。辻は便所飯の解消策として、「学級制の見直しを含めて、子どもたち若者たちが、同輩集団以外の多様な関係を取り結べる環境を整えていくことではないか」として、多層的な人間関係を補うことで便所飯を解消できるのではないかと考察している。 一方、群馬大学の社会学者の二宮祐准教授は、論文「『便所飯』に関する一考察 : 大学における心理主義」の中で、便所飯という事象は便所飯当事者とそれ以外の者たちとの相互作用の中で生じたにもかかわらず、心理学あるいは心理学風の知識を用いて、便所飯という事象を便所飯当事者サイドの心の問題のみに帰結させることを批判的に論じた。二宮は便所飯が当事者と心理専門職間の個人レベルでしか解決できないという理解には「認識論的誤謬」があるとした上で、社会的に構成されている「問題」を個人が解決するべき「問題」とすることが誤りであることを学生に伝達する必要があると主張した。さらに、そもそも便所飯が必ずしも社会的介入を必要とする「問題」なのかという疑問を投げかけている。二宮によれば、便所飯は大学生活において周囲との軋轢を一時的に回避する適切な選択たりうるなどとして、便所飯を一面的に「問題」と捉えることに疑問を表明している。
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