子供歌舞伎と人形浄瑠璃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:54 UTC 版)
「出町子供歌舞伎曳山祭」の記事における「子供歌舞伎と人形浄瑠璃」の解説
出町では遅くとも1811年(文化8年)より以前に3基の曳山舞台にて子供芝居が行われていたことがわかっているが、最も古い西町の曳山では子供歌舞伎とともに人形浄瑠璃(文楽)が行われていたことがわかっている。しかし人形浄瑠璃は、1888年(明治21年)ごろまで継続されたものの、その後大正の初めごろまでは単発的に行われるだけになり、明治中期から廃れていってしまい現在では行われていない。現存する浄瑠璃人形や史料は、砺波市出町子供歌舞伎曳山会館や砺波郷土資料館に展示、保存されている。また、中町も人形浄瑠璃を単発的に行っていたことがわかっている。 出町に受け継がれている歌舞伎の外題(演目)は25演目以上ある。当番町によって前年に外題の選定と決定がなされ、衣装、かつら、小道具などの準備が始まり、冬休みに入ると稽古始めとして「顔合わせ」が行われ、台本の読み合わせにより配役を決定し、指導者のもとせりふ回しや所作などの厳しい稽古が始まる。祭礼当日までは土日を中心に、春休みにはほぼ毎日行われ、祭礼前日の28日には「稽古上げ(リハーサル)」を行い祭礼当日を迎える。なお口上、浄瑠璃語り(「太夫」)、三味線などの囃し方、黒衣(黒子)は大人が務める。 子供歌舞伎の衣装は各山方がそれぞれ保管しているが、これは出演する子供達の親達が自前で衣装を作り寄贈したためである。全国各地の曳山子供歌舞伎で衣装やかつらを自前で準備しているのは全国的にも出町だけの特徴である。 2015年(平成27年)には、出町初お目見えの外題(演目)「釣女」が演じられた。
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