妊娠およびリトル・リッキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:25 UTC 版)
「アイ・ラブ・ルーシー」の記事における「妊娠およびリトル・リッキー」の解説
ボールは結婚初期に何度か流産し、その後『アイ・ラブ・ルーシー』撮影開始直前の1951年7月17日、第一子長女ルーシー・アーナズを出産した。ボールが妊娠中にパイロット版が撮影されたのだが、エピソードには妊娠に関連する事項は一切含まれなかった。当時CBSは妊娠に触れることは悪趣味であると考え、広告会社がアーナズに妊婦を出演させるなと語っていたからである。 第2シーズン中にボールは第二子長男デジ・アーナズ・ジュニアを妊娠し、今回はこの妊娠が物語に組み込まれた。妊娠がテレビで放送されたのは『アイ・ラブ・ルーシー』が初めてという俗説があるが、1940年代後期のシットコム『Mary Kay and Johnny 』のメアリー・ケイが最初である。 CBSは『アイ・ラブ・ルーシー』で「pregnant 」という言葉を使うことを禁じ、代わりに「expecting 」という言葉を使った。1952年12月8日、『Lucy Is Enceinte 』というエピソードが放送された。「enceinte 」はフランス語で「妊娠」を意味する。1週間後の1952年12月15日、『Pregnant Women Are Unpredictable 』というエピソードが放送された(ただしエピソード名は放送されなかった)。1953年1月19日、『Lucy Goes to the Hospital 』というエピソードで赤ちゃんが誕生した。このエピソードは注目を集め、放送日はボールが実生活で帝王切開でデジ・ジュニアを出産する日が選ばれた。このエピソードは当時のテレビ史上最高の71.7%の視聴率を誇り、ドワイト・D・アイゼンハワーの大統領宣誓就任式の視聴率67.7%を越えた。 通常、ドラマでは子供の成長の具合が実際の年月とは違ったりするが、『アイ・ラブ・ルーシー』ではリトル・リッキーの成長は実際の年月に則していた。1952年から1953年は乳児期、1953年から1956年は幼児期、1956年から1960年には学校に通う年齢となった。この間、2組の双子、および少年期にはキース・シボドゥの計5名がこの1つの役を演じた。ただし、『Lucy and Superman 』のエピソードでリトル・リッキーは5歳と言うが、実際には生まれてから4年しか経っていない。 ジェス・オプンハイマーは自伝で、子供の性別を決めるのが問題だったと語っている。リカード夫妻に男の子ができたらよりコミカルになると考えた。オプンハイマーはデジに男女どちらがいいか尋ねたところ、デジはルーシーとの間に男の子ができる機会はこれを逃したら最後となるかもしれないから男の子がいいと応えた。それ以降、ルシル・ボール自身の子の性別がどちらだろうと関係なく、ルーシー・リカードの子は男の子だと決めた。
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