『アイ・ラブ・ルーシー』
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「デジ・アーナズ」の記事における「『アイ・ラブ・ルーシー』」の解説
1951年10月15日、妻のルシル・ボールとW主演した『アイ・ラブ・ルーシー』が初回放送された。このドラマでは架空の自分自身、キューバ系オーケストラのリーダーであるエンリケ・リカード(愛称リッキー)を演じた。ボールはリッキーの妻ルーシーを演じた。テレビ局の重役はボールが出演していた人気ラジオ番組『My Favorite Husband 』のテレビ版にボールを出演させたかった。ボールはアーナズとの時間をより多く持つため、共演者にアーナズを推した。 元々はルーシーとラリー・ロペスのショー・ビジネス界で成功している夫婦の華やかな経歴が、普通の生活をしようとする2人の邪魔をする話であった。市場調査を基に、このシナリオは世間受けが良くないと考え、脚本家のジェス・オプンハイマーは夫役を売れない若いバンド・リーダーのリッキー・リカードに、妻役のルーシーを才能もないのにショー・ビジネスに憧れる普通の主婦に変更した。ラリー・ロペスという名は実在のバンド・リーダーであるヴィンセント・ロペスと似ているため、リッキー・リカードに変更した。リッキーはトロピカーナ・クラブに出演していたが、後にクラブを所有することになるとクラブ・ババルと改名した。 当初はボールと明らかにラテン系のアーナズとの結婚生活を描くのは、アーナズのキューバ訛りの英語とラテン系のスタイルはアメリカの視聴者に受けないのではないかと危惧された。1950年夏、2人はスペイン人ピエロのPepito Pérez の助けを得てラジオ版の脚本家達と共にヴォードヴィルのツアー公演を行ない、これらの意見を払拭した。『アイ・ラヴ・ルーシー』のパイロット版にはこのヴォードヴィル公演で使われたネタが使われた。このパイロット版は第1シーズン第6話で再び製作された。当時彼は最も成功したテレビ界のコメディ興行主となった。これには妻ボールの100万ドルのコメディ・センスが貢献している。
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