女性時代衣装行列の構想と概要
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「染織祭」の記事における「女性時代衣装行列の構想と概要」の解説
初年度は祭祀とパレードという構成であったが、各方面から「祭を賑やかすための催物の一つとして大衆行列の企て」を願う声があがった。これは1895年(明治28年)より平安神宮で毎年開催されていた時代祭の時代扮装行列が支配階級の男性陣で構成された時代行列であったことに対抗したものでる。上古時代から江戸時代後期に亘る女性の時代風俗を復元するため、京都で古来培われていた高度な染織技術を結集し、当時京都に揃っていた有職故実、時代風俗研究の専門家・7名の協力を得て、計画からわずか2年間で考証し、復元にこぎつけた。短い期間でありながら総勢143領の衣装を、各時代で実際に使われていた技術を用いて忠実に再現できたことは、優秀な人材と高い技術力が当時の京都に結集していたからこそ可能となったのである。現代では失われた技術もある。 時代衣装の考証・復元に関わった人物 武家故実研究家 - 関保之助(1868~1945年) 有職故実研究家 - 猪熊浅麻呂(1870~1945年) 有職故実研究家 - 出雲路通次郎(1878~1939年) 歴史学者 - 江馬務(1884~1979年) 風俗研究家 - 吉川観方(1894~1979年) 有職織物研究家 - 高田義男(1897~1985年) 京都絵画専門学校教諭・日本画家 - 猪飼嘯谷(1881~1939年) 古美術商 - 野村正治郎(1879~1943年) 時代衣装の調整に関わった装束店 髙田装束店(京都市上京区烏丸通下長者町下ル) 荒木装束店(京都市中京区場之町596) 松下装束店(京都市中京区新町通三条上ル) 初年度、次年度は調査期間に充てられた。当初は男性のみの扮装行列であった時代祭に対して「大衆行列」を計画していたが、京都の染織技術を十分に発揮したものを制作するため「風俗行列」に変更された。復元は下着から表着、帯、道具に至るまで全ての衣装が誂われ、1932年(昭和7年)には、まず平安時代の女性風俗を再現した「やすらい花踊り」の衣装が、翌1933年(昭和8年)には残る7つの時代の衣装も完成し、京都市内8遊郭の芸妓らにより着用され、女性時代衣装行列が挙行された。
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