女性旅行家として活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 01:36 UTC 版)
「イザベラ・バード」の記事における「女性旅行家として活躍」の解説
1857年に父親を亡くし、母親と妹とともにエジンバラに転居。その後、ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー(当時としては珍しい女性旅行家)として、世界中を旅した。『サンドイッチ諸島での六ヶ月』『ロッキー山脈におけるある婦人の生活』を著す。 英国枢密院の要職を勤めるジョン・フランシス・キャンベル (John Francis Campbell) の『私の周遊記 (My Circular Notes) , 1876)』を読んで、バードも世界旅行を思い立った。キャンベルが日本で世話になった明治政府御雇外国人のコリン・アレクサンダー・マクヴェイン (Colin Alexander McVean) 夫妻が帰国し、1876年から1878年までにエジンバラで生活していたことから、バードは頻繁にマクヴェイン夫妻を訪れ日本の情報を集めた。 キャンベルは女性の一人旅に否定的であったが、マクヴェインは日本の知人・友人を紹介するなど旅行の助言や便宜を提供した。バードはキャンベルの旅行とは逆の経路を通り、4月9日にヨーロッパ大陸を経由して日本に向かった。
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