女優としてのキャリア初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:59 UTC 版)
「ヴィヴィアン・リー」の記事における「女優としてのキャリア初期」の解説
ヴィヴィアンは友人たちの勧めで、1935年の映画作品『Things Are Looking Up』に出演し、この作品の端役で女優としてデビューした。ヴィヴィアンが契約していた代理人のジョン・グリッドンは「ヴィヴィアン・ホルマン (Vivian Holman) 」という名前が女優として相応しくないと考えた。グリッドンが考えた「エイプリル・モーン」という名前が気に入らなかったヴィヴィアンは、夫ハーバートのミドルネームの「リー」をラストネームに借用し、さらに自身のファーストネーム「ヴィヴィアン(Vivian )」の綴りの「a」を「e」に変更して「ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)」という芸名を名乗ることを決めた。グリッドンはリーを映画女優として映画監督アレクサンダー・コルダに推薦したが、このときコルダはリーに将来性が欠けているとして出演を断っている。1935年に舞台作品『美徳の仮面 (The Mask of Virtue)』に出演したリーは高い評価を受け、複数のインタビューや新聞記事にとりあげられた。タブロイド紙『デイリー・エクスプレス』のインタビュー記事ではリーのことを「すばやくころころと変わる表情」と表現している。この記事が、後にリーの特徴となっていく「気まぐれ」に最初に言及した公的なコメントだといわれている。のちに桂冠詩人の称号を手にするイギリスの詩人ジョン・ベチェマン (en:John Betjeman) は「典型的なイングランドの少女」であるとリーのことを言い表している。以前に自身が監督する映画作品へのリーの出演を断ったコルダも、開幕初日にリーが出演する『美徳の仮面』を観劇した。そしてコルダは過去の過ちを認め、リーの映画出演契約書にサインした。『美徳の仮面』はヒットを続け、コルダの計らいで規模の大きな劇場で上演されることとなった。しかしながら当時のリーの声質は大規模な劇場に適しているとはいえなかった。リーの演技は十分に観客をひきつけることが出来ず、『美徳の仮面』は間もなく終演となってしまっている。 1960年にリーはこの当時のことを回想している。デビュー間もない自分が批評家たちから高く評価され、突然有名になったことに戸惑っており「私が優れた女優だなどと無責任なことをいう批評家もいました。なんと無責任で不道徳ともいえる発言でしょう。当時の私にとってそういった言葉がどれだけ重荷で負担になったことか。耐えられませんでした。このような最初の評価になんとか応えられるようになるまで、何年もかかったのです。ほんとうに馬鹿げた話です。今でもそのときの批評家をはっきりと覚えていますし、生涯許すことはないでしょう」と語っている。
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