太刀山峰右衛門とは?

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太刀山峰右衛門 たちやま みねえもん

明治10年8月15日昭和16年4月3日(1877~1941)

富山生まれ力士少年時代から力自慢で知られ、板垣退助らの勧め明治32年(1899)友綱部屋入門44年(1911)第22横綱昇進突き技を得意とし、その強烈さは四十五日一月半=一突き半で勝負がつく)と称された。梅ヶ谷常陸山後の角界第一人者として、無敵を誇った。一敗を挟んで43連勝56連勝記録幕内1952710分5預73休。大正7年(1918)年寄東関となるが、程なくして角界を去る。

キーワード その他
号・別称 東関(あずまぜき) , 老本弥次郎

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)

太刀山峯右エ門

(太刀山峰右衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/28 00:56 UTC 版)

太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、富山県婦負郡吉作村(現・富山県富山市呉羽町吉作)出身の元大相撲力士。第22代横綱。本名は老本 弥次郎(おいもと やじろう)。




  1. ^ a b c d 【大相撲豪傑列伝】(8)20世紀最強の人類 太刀山峰右衛門 産経新聞 2008.11.15 16:54
  2. ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2017年6月号42-43頁
  3. ^ 当時から「にらみ押し」と言われたかは真偽の程が疑わしい。「1910年夏場所では、八嶋山が突っ張りを恐れるあまり、一度も体が触れないまま自ら土俵を割り、「にらみ出し」とはやされた(1993年9月6日付け朝日新聞朝刊)」という記事が掲載されたが、当時の取組内容が記載されている朝日・読売・毎日の各新聞によれば、決まり手は「よりきり」となっている。八島山との取り組みは1911年2月場所でも実現したが、その時の決まり手は「つきだし」。ちなみに決まり手として相撲協会が認めるようになったのは1955年からで、それ以前は新聞などのメディアが勝手に名づけていた。
  4. ^ a b 『大相撲中継』2017年11月18日号 pp.86-87.
  5. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p12
  6. ^ 『相撲』 2013年11月号、p90
  7. ^ 『太刀山』太刀山会編、1917年、p52


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