天文学の分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:57 UTC 版)
中山茂によると、占星術と天文学の「分離」が明確になったのは、アイザック・ニュートンの登場によって、天文学に力学が導入されてからである。ただしニュートンは、キリストの神性を含まない原始の神学の復興を目指し、神が創造し内在する宇宙の体系の完全な知識の復活を試みて研究を行っており、今日の科学者の方法・姿勢とは明らかに異なっている。彼は、ヘルメス文書の解読を試み、古代の知識の復活を目指しており、万有引力の法則も古代の知識の再発見に過ぎないと考えていた。彼の万有引力の法則のアイデアは、自然魔術の「共感」、アリストテレス主義者の「隠された性質」という、ものを引きつける見えない力という概念への逆戻りのようにとらえられ、批判も浴びた。 ニュートン以前は、遠い未来に起こる天体現象を正確に予想できることから、天体の運動は地上における現象とは別の原理によって説明される、より神秘的で完全なものであり、地上における現象にもなんらかの影響を及ぼしているという考え方には、一定の根拠があった。ニュートンによって、惑星運動と地上における落下現象が同じ万有引力の法則によって説明されることが示されたことで、これと矛盾する占星術は「自然科学」の体系から離れていった[要出典]。 1781年に天王星が発見されたとき、占星術師にはこれを組み込んで「より正確な」占いを行おうとする者たちが現れた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}占星術が真に「科学」と呼べるものならば、ここで占いの正確さのためにまだ足りない要素があることに気付くべきであったが、そのような見解はなかった。[要校閲]他方、天文学は天王星の摂動によって、未発見の惑星(海王星)の存在を正しく予見した。科学史家の中山茂は、この海王星の発見が、占星術と天文学の「科学性」を考察する重要なものであったとしている。
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