天保騒動の背景とは? わかりやすく解説

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天保騒動の背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:06 UTC 版)

天保騒動」の記事における「天保騒動の背景」の解説

甲斐国1724年享保9年)に幕府直轄領天領化され甲府町方管轄する甲府勤番三分代官による在方支配が行われていた。 甲府盆地を抱く国中地方では近世新田開発進み穀倉地帯となり、国内産出した米穀甲府問屋仲間統括し一部信濃国から移入され米穀とともに鰍沢河岸集積され富士川舟運通じて江戸へ廻送された。一方山間部である郡内地方生業耕作地少ないことから山稼ぎ郡内織生産など農間余業依存強く必要な米穀国中相模国駿河国からの移入頼っていた。 寛政年間には甲府問屋仲間弱体化し鰍沢宿(現:富士川町鰍沢)の米穀商買い占め行い廻米として移出される米穀増加し信濃から買付を行う商人進出したため米価高騰発生していた。1833年天保4年)には全国的に冷夏による凶作のため米価高騰飢饉発生しており(天保飢饉)、冷夏影響郡内地方において深刻で、国中でも八代郡夏目原村笛吹市御坂町)の百姓夏目家日記では冷夏影響を「五十以来無覚之凶作」とし、天保騒動打ちこわし対象となる山梨郡万力筋熊野堂の奥右衛門家ではこの頃既に打ちこわし空気発生しており、甲府町方でも世情不安が伝わり動揺生じている。 信濃国高遠藩同国諏訪藩では甲信国境に穀留番所設置して他領への米穀流出防止する穀留を行っており、甲斐側でも甲府勤番代官触書通じて穀留を行っているが、施策不徹底であったため米価一時的に安定したものの1835年天保6年)には再び上昇し高値傾向推移していた。郡内地方では文化年間織物不況による打撃受けていたが、そこに天保飢饉影響により谷村米穀商米穀の買付を行ったため米価高騰発生し同じく社会不安広まっていた。

※この「天保騒動の背景」の解説は、「天保騒動」の解説の一部です。
「天保騒動の背景」を含む「天保騒動」の記事については、「天保騒動」の概要を参照ください。

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