大阪工業大学時代
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「大阪工業大学 (旧制)」の記事における「大阪工業大学時代」の解説
1929年4月1日:大学令および官立工業大学官制(勅令第36号)により大阪工業大学(旧制)設立。学部、研究科、選科、附属工学専門部を開設。 学部は修業年限3年、設置学科は機械工学科、応用化学科、醸造学科、冶金学科、造船学科、電気工業科。 附属工学専門部は大阪高等工業学校在学生を収容し、1931年3月に廃止された。 1929年4月15日:第1回入学式。翌16日、授業開始。 1929年10月:「大阪工大学報」創刊(文芸部発行)。 1930年9月に大阪帝国大学設置が具体化し始めたが、1931年2月、大阪工大は帝国大学に合流しないと判明。すぐさま学生が決起し、2月9日に全学生協議会を結成、「1931年4月の大阪帝国大学創設と同時に工学部とする」旨の決議を採択。同2月18日には同窓会「大阪工業倶楽部」理事会も紛糾のすえ 同調。同2月21日には、在学生・同窓生有志が大阪帝大への編入を求めて街頭デモを挙行。同2月27日、文部省からの最終回答は、「1931年の編入は不可能、1932年度編入」であった。学生側はこれを不満として過激化しそうになったが、教授会・同窓会の勧告を容れて、同3月に学生実行委員会を解散した。しかし、1931年12月に若槻内閣が倒され帝国議会が解散した煽りで、1932年4月編入も不可能となり、さらに1年遅れの1933年4月編入となった。 1932年2月:大阪工業大学第1回卒業式。大阪工業大学学部名義の卒業はこの1回のみ。 1933年2月:大阪帝国大学工学部設置予算、貴族院予算会議を通過。 1933年4月:大阪帝国大学工学部発足、大阪工業大学廃止(勅令第33号)。4月5日、大阪帝国大学工学部第1回卒業式(大阪工業大学第2期生)。
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