大邱事件とは? わかりやすく解説

大邱事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 09:16 UTC 版)

朴松男」の記事における「大邱事件」の解説

1976年10月大韓プロレス協会同年6月モハメド・アリとの異種格闘技戦行ったアントニオ猪木韓国招聘計画。その対戦相手として、アメリカで成功収め韓国プロレス界を代表するスターとなった選ばれた(なお、同年4月行われた新日本プロレス第3回ワールドリーグ戦韓国代表として参加予定されていた)。 試合シングルマッチ2連戦となり、10月9日大邱前哨戦行い、翌10月10日にはソウル猪木NWFヘビー級王座挑戦するタイトルマッチ組まれた。このうちテレビ中継のなかった9日大邱での試合は、猪木プロレス暗黙の了解無視してシュート仕掛け脊髄に肘を叩き込み、目の中に指を入れるなどの凄惨な結末となった当初は、テレビ中継のあるソウルでのタイトルマッチ猪木が勝つ代わりに大邱での前哨戦に勝ちを譲るという取り決め交わされていたが、直前になって猪木負けブック一方的に拒んだため、結果としてリアルファイトになったとされている。また、猪木事前承諾なしにNWF防衛戦組まれたことに腹を立てていたという。興奮したセコンド勢が「セメント! セメント!」とリングサイドに陣取って叫ぶなど、殺伐とした雰囲気の中で試合行われたが、アメリカで真っ当なプロレスリング・ビジネスを続けてきたはリアルファイトに気乗りせず、やむなくリング上がった試合リンチに近いものとなり、レフェリー務めたミスター高橋は、猪木フェイスロックは唇を自分の歯で切り、裂けた唇の間から歯が見えたほどだったと述懐している。結果ノーコンテスト試合目撃していた坂口征二は「(が)試合中に何か汚いことをしてきたから、猪木さんが怒って目に指を入れた」「アマリロにいた時にタッグ組んでいて仲が良かったから、心情的にちょっと…」などと語っている。 同日深夜プロモーターの金斗満の要請猪木謝罪翌日NWF戦は通常のプロレスが行われたものの(猪木リングアウト勝ち)、ここでも勝敗巡って猪木主催者側試合前に険悪な状況となり、テレビ生中継入っているにもかかわらず試合開始1時間近くも遅れるという異常事態招いた

※この「大邱事件」の解説は、「朴松男」の解説の一部です。
「大邱事件」を含む「朴松男」の記事については、「朴松男」の概要を参照ください。

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