大庄村立時代とは? わかりやすく解説

大庄村立時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 04:54 UTC 版)

尼崎市立大庄小学校」の記事における「大庄村立時代」の解説

1901年明治34年4月 - 大庄村立大尋常小学校改称1902年明治35年4月1日 - 高等科および裁縫科を併設大庄尋常高等小学校改称12月2日 - 当時大庄村のほぼ中央となる現在地へ移転開校式を行う。以後この日を創立記念日定める。 1916年大正5年) - 講堂竣工阪神間一の規模称されたという。 1923年大正12年11月 - 講堂南側2階校舎新築1933年昭和8年8月29日 - 北校舎北側鉄筋3階建を新築(現・北校舎西側)。 1934年昭和9年9月21日 - 室戸台風2階校舎倒壊するなど校舎大きな被害を受ける登校前・登校合わせて6名の児童死亡1935年昭和10年12月31日 - 鉄筋3階増築(現・北校舎東側)。 1936年昭和11年) - 尋常科45学級高等科6学級児童総数2,457名。阪神間最大児童数有する11月 - 南木校舎の東を撤去し鉄筋3階建を新築(現・南校舎中央および東側)。2階舟型窓の講堂等が設けられる1937年昭和12年7月 - 大庄村役場本校西隣へ移転建物大庄公民館として現存)。 1936年昭和13年) - 尋常科53学級高等科8学級児童総数3,335名。日本最大児童数となる。二部授業実施12月 - 運動場拡張1939年昭和14年4月 - 大庄第二尋常小学校(後の西小学校)を分離9月 - 大庄村役場跡を改造し教室化。 1941年昭和16年4月1日 - 国民学校令施行により、大庄第一国民学校改称大庄第三国学校(現・大島小学校)を分離

※この「大庄村立時代」の解説は、「尼崎市立大庄小学校」の解説の一部です。
「大庄村立時代」を含む「尼崎市立大庄小学校」の記事については、「尼崎市立大庄小学校」の概要を参照ください。

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