大学の学生時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 03:06 UTC 版)
東京大学医学部製薬学科に津田が入学した頃、定員増で20名から35名になった。 1907年(明治40年)にできたという延500坪の赤煉瓦木骨の二階建てが東西に横たわり、その東西両端の二階にそれぞれ階段教室があった。この東西両端に接続してコの字型に延600坪位のコンクリートの二階建ての新館が津田の入学直前に増築されていたが、実習用大実験室や新設講座の諸施設は皆、この新館内に設けられていた。新旧併せて延1100坪だったが、その後東館を残して残りの建物は全部五階建ての新建築に建て替えられた。 津田は入学時の既設の講座は衛生化学(服部健三教授)、薬化学(近藤平三郎教授)、生薬学(朝比奈泰彦教授)、薬品製造学(慶松勝左衛門教授)の四つで、入学後に新たに臓器化学(緒方章助教授)と分析化学(高木誠司講師)の二講座が開講された。当時の一、二年次は午前講義、午後実習、三年次に卒論実験のために前記六講座に配属された。 1958年、薬学科が医学部から独立して薬学部となり、東大薬学部の講座も漸増して、現在は十数講座を数える。しかも何千坪となった薬学部の建物には若者の情熱と機器類が溢れ、活気に充ちている。 津田は卒業して直ちに薬学の教育・研究生活に入り、成果を挙げて社会の薬学への要望に応えたのである。
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