多摩センター駅以西への開発の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:08 UTC 版)
「多摩ニュータウン」の記事における「多摩センター駅以西への開発の進展」の解説
1980年代には、多摩センター駅周辺で開発が進む中、西部地区と呼ばれる南大沢駅を中心とする区域でも開発が進んでいき、多摩ニュータウンの人口は1980年に6万人だったものが、1987年には10万人に達した。西部地区の開発にあたっては、1974年に緑とオープンスペースの確保を盛り込んだ行財政要綱が決定されたことから、見直された基本計画が「多摩ニュータウン西部地区開発大綱」にまとめられ、西部地区はこの要綱に基づき開発が進められた。そして、1983年3月に第14住区で1018戸の入居が行われ、西部地区の入居開始となった。 西部地区の入居開始時点では、南大沢駅まで鉄道が開通していなかったため、住民はバスで多摩センター駅まで移動していた。西部地区を含む多摩センター駅以西への京王相模原線の延伸には、その途中にある多摩市落合のゴルフ場「府中カントリークラブ」の敷地通過が問題となっていた。工事着工にあたり、ゴルフ場側に補償金5億円を提示したが拒否され、その後、10億8800万円まで引き上げられたが折り合いがつかなかった。1986年2月28日には強制収用の手続きに入ったが、最終的に10億8800万円の補償金で和解し工事が進められ、1988年5月21日に京王相模原線の京王多摩センター駅 - 南大沢駅間が開業した。 また、1990年(平成2年)に小田急多摩線が小田急多摩センター駅から唐木田駅まで延伸すると同時に、唐木田地区が入居開始した。開発前の唐木田地区では、東京都施行の土地区画整理事業区域と、住宅・都市整備公団(現・都市再生機構)施行の新住宅市街地開発事業区域が複雑な形状をなしており、その上に両区域の高低差が大きかった。地区南部では小田急線車庫が計画されていたことから、この両区域の一体的施工が必須となったため、土地区画整理事業が東京都から住宅・都市整備公団に委託された。そうして、この地区では高低差の少ない一体的な土地利用計画を実現している。
※この「多摩センター駅以西への開発の進展」の解説は、「多摩ニュータウン」の解説の一部です。
「多摩センター駅以西への開発の進展」を含む「多摩ニュータウン」の記事については、「多摩ニュータウン」の概要を参照ください。
- 多摩センター駅以西への開発の進展のページへのリンク