多店舗展開・グループ化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 17:03 UTC 版)
戦後の1946年2月3日に大阪平野町店を開店。1948年2月、京都嵯峨店を開店(児嶋嘉助の元別邸)。翌1949年4月に児島嘉助の店舗兼本邸を購入して現在、大阪市にある高麗橋本店を開く。関西の茶人・財界人の引き立てを受けて名声を高め、来阪する内外の要人をもてなすのに欠かせない高級料亭となる。貞一には茶懐石に関する著述が多いが、1969年には『暮しの手帖』に花森安治のインタビューによる「吉兆つれづればなし」の連載が始まり、吉兆の名前が一般にも浸透する契機となる。1979年・1986年・1993年の東京サミットで他の有名料亭をさしおいて日本料理担当に選ばれたことで、世界的に知られる存在となった。1988年には創業者の茶道具コレクションをおさめた「湯木美術館」を設立。 大阪、京都、神戸、東京などで多店舗展開をすすめ、1991年、創業者の貞一の息子や料理人である娘婿たちをのれん分けの形で独立させて、吉兆グループとしてグループ会社制に移行。長男の湯木敏夫が本吉兆、長女の婿湯木昭二朗が東京吉兆、次女の婿徳岡孝二が京都吉兆、三女の婿湯木正徳が船場𠮷兆、四女の婿湯木喜和が神戸𠮷兆を継承した。1997年、 創業者の湯木貞一逝去。
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