外交官の動きとは? わかりやすく解説

外交官の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 13:53 UTC 版)

1950年の国際連合事務総長の選出」の記事における「外交官の動き」の解説

このインド提案受けて米ソ自国への支持訴え外交活動活発化させた。ソ連はいくつかの代表団に声をかけ、その国の候補者投票することを申し出たアメリカディーン・アチソン国務長官は、「明確に表明され多数派意見封じ込めることで、安保理威信を傷つけることになる」と述べ、他の安保理理事国リー堅持迫ったイギリス政府インド案の採決には棄権するよう代表団指示していたが、アメリカ意向受け入れて国連大使ヒューバート・マイルズ・グラッドウィン・ジェブ反対票を投じる権限与えたアメリカイギリス連邦出身者指名され場合イギリス投票を心配していたが、ジェブはすでにノルウェー大使に対してイギリスインド人事務総長になることには興味がない」と伝えていた。フランス政府国連大使指示出さず自分判断投票できるようにした。 キューバは、他のラテンアメリカ諸国政府が「調停の手段」としてインド案を支持しているにもかかわらずアメリカリー引き続き支持する伝えたキューバ大使は、アメリカ対しインド案を採用するが、リーの名前はリストから抹消しないという案を提案したオースティンは、この「ソ連作戦」を「トリックと罠」と非難し朝鮮戦争が「勝利に近づいている」こと、そしてアメリカ議会は、まだ実績のない事務総長指揮執るこの活動資金提供し続けることをためらうだろう述べたオースティンは、「これは決し脅しではなく、単に状況分析したものだ」と主張した安全保障理事会10月20日21日にこの問題議論したアメリカ、イギリスキューバノルウェーユーゴスラビアインド案に反対したため過半数に1票足りなかった。その後ソ連常任理事国によるさらなる協議提案し安保理7-0-4僅差インド案に同意した

※この「外交官の動き」の解説は、「1950年の国際連合事務総長の選出」の解説の一部です。
「外交官の動き」を含む「1950年の国際連合事務総長の選出」の記事については、「1950年の国際連合事務総長の選出」の概要を参照ください。

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