外交官の道を歩む
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 16:13 UTC 版)
「エイブラハム・スタンヤン」の記事における「外交官の道を歩む」の解説
1690年にミドル・テンプルに入学したが、すぐに外交官の道に転じ、同年から1691年まで在オスマン帝国イングランド大使(英語版)サー・ウィリアム・トランブル(英語版)の秘書官を務めた。スタンヤンは外国駐在の官職を好むようになり、トランブルもスタンヤンに高評価を与え、北部担当国務大臣在任中の1697年9月10日にスタンヤンを在ヴェネツィア共和国イングランド弁理公使(英語版)第4代マンチェスター伯爵チャールズ・モンタギュー付き秘書官に任命した。スタンヤンは1697年12月初にヴェネツィアに到着、1698年2月末に離任した。1698年に初代準男爵サー・ウィリアム・ノリス(英語版)がイングランド代表としてムガル帝国皇帝アウラングゼーブのもとに派遣されるとき、スタンヤンはノリスの秘書官として招聘されたが、それを断り、翌年にイングランド枢密院秘書官(英語版)の1人に任命された。直後の1699年6月に再びマンチェスター伯爵(在フランスイングランド大使)付き秘書官に任命され、1700年6月末にパリを離れた。
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