変文と妖怪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
唐代には寺院で僧侶が仏教の講話を行う際に、聴衆の興味を引きつけるために語られた俗講と呼ばれる唱道文芸が流行した。難解な経文の意義・主旨を無学な民衆にも分かるように平易な言葉で説いたもので、それをテキスト化したものを「変文」という。唐から五代・北宋の時代に盛んとなったがその後存在が忘れられ、1907年に敦煌から出土した敦煌文献の中から写本が発見されたことで、再び知られるようになった。『降魔変文』と呼ばれる変文には、舎利弗と六師外道が変身の技を競い、宝山・金剛・水牛・獅子・白象・金翅鳥王・二鬼・大樹・風神などに化け、舎利弗が勝利したという話が載る。この話は宋代に漢訳された『賢愚因縁経』の故事によったもので、後の『西遊記』の孫悟空と妖魔の戦いのプロットと類似する。 変文の文体はそれまでの中国文芸には無かった、韻文(特に七言絶句)・散文が交互に現れるという際だった特徴を持ち、インドの仏典の影響が指摘される。語るだけでなく唱歌として聞かせることで、聴衆に強い印象を残す目的でとられた形式と思われ、この形式が宋代以降の講談にも受け継がれ、後に通俗小説で盛んに詩詞が挿入される遠因となった可能性もある。
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