境内・門前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 10:26 UTC 版)
越後移転後も領主城地の移転、天災などにより境内地を3度にわたって移した。寛文5年(1665年)の地震被害の復興を機に現在地(上越市寺町)に移る。 境内敷地はおよそ一万坪あり、本堂、鐘楼、経蔵、太子堂、御殿、書院、食堂、庫裏、惣門、中雀門などを構え、寺内に9ヶ寺の塔頭寺院を抱えていた。 大正4年(1915年)、「寺町大火」により本堂、本廟を除く伽藍のすべてを焼失する。 大正12年(1923年)の御殿、庫裏の再建を初めとして順次復興がすすめられ、現在は山門、本堂、本廟、拝殿、鐘楼、太子堂、宝物殿、経蔵、御殿、書院、庫裏、慈愛堂(ペット慰霊堂)が整備されている。 延宝7年(1679年)頃建立の本堂は国の重要文化財に指定されている。 9か寺の旧塔頭寺院も存続しているが、現在では各々が宗教法人格を有し真宗浄興寺派の末寺となっている。新潟県柏崎市に別院を置くほか2か寺の末寺がある。 最盛期には諸国に触れを伝える従者や使用人が居住するなど門前が賑わったが、享保年間以降の停滞期に縮小し、現在では門前町といえるものは存在しない。
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